このページでは、私の生い立ちを紹介しています。
保育園から中学校まで
???1982年(昭和57年)3月7日、茨城県日立市に生まれる。両親は公務員、兄が2人。
0歳から保育園で育ち、友達や先生からは「好奇心旺盛で、おしゃべり好き。給食を食べるのがいつも遅い。」と言われる。
小学4年生のときに、友人と、道端で困っていたお婆さんを助け、「日立市善行少年表彰」を受ける。
中学校では生徒会長を務め、生徒の意見が多かった「指定靴の自由化」を実現する。生徒会主導による校則改正は学校初。
高校から大学まで
水戸第一高等学校に入学。ハンドボール部の主将を務める。(写真の後列右から4番目)
高校を卒業後、アルバイトをしながら東大を受験し続け、3年間の浪人生活を経て、理科I類に合格。
物理の研究職を目指し、勉学一筋の学生活を送る。在学中に、物理の専門書の執筆協力を行う。
大学院に進学するも、人と接する機会がほとんどない研究生活が続き、悩み抜いた末、大学院を中退。(写真の左から4番目:大学時代のクラスメイトとの同窓会)
議員になるまで
???大学院を中退し、紆余曲折を経て社会の厳しさを学び、その後、関心のあった教育の仕事に就く。
医学部受験生を専門とする予備校講師として、自作の教科書を使用し、「どんな生徒でも、基礎からきちんと教えれば、自ら考えることができる人に育ち、成績は後から付いてくる。」という信念のもとに指導を行う。物理を得意教科にしたい生徒からの信頼を得る。
教育に携わる傍ら、知人を通じて菅原文仁埼玉県議会議員に引き合わせていただく。
菅原県議の手伝いに従事するなかで、「市民の声を広く聞き、その声を代弁して行政に伝え、市政に反映させる」という政治家の仕事に魅力を感じ、戸田市での立候補を決意。
地盤(地元組織)、看板(知名度)、かばん(お金)のないなか、“戸田市の未来をつくる”4大政策を訴えるため、駅頭活動を行う。
厳しい選挙戦のなか、友人らと共に市内を自転車で回り、街頭演説を行う。1,139票という多くの信頼を戴き当選。責任ある議席を預かる。
戸田市議会議員として
???議会では、毎定例会において一般質問を実施し、委員会においても積極的に発言。市民のみなさんから頂いた貴重なご意見を余さず代弁することを心掛けている。
日々の議員活動は、Facebookやブログで詳細に報告し、また定例会後には活動報告レポートを発行し、市内駅頭11か所で配布。説明責任を果たすとともに、市民のみなさんとの建設的な議論の土壌づくりを目指している。
???これまで議会で行った提言の多くが市政に反映。それらの施策が、県内初または国内初の事例となることもあり、2014年10月には、「第9回マニフェスト大賞」優秀政策提言賞・優秀プレゼン賞を受賞。(写真:六本木ヒルズにて)
2015年2月には市民生活常任委員会の副委員長を拝命。
今後も、広聴・調査・提言の能力を持った議員として、“戸田市の未来”のために活動していきたい。