福岡県立高校の騎馬戦で、騎馬から落ちた生徒に後遺症が残った事故で、県は2億円の損害賠償支払いを命じる判決を受けました。
報道を見ると、通常の騎馬戦と特に変わったことをしていたわけではありません。逆に言うと、騎馬戦がそれだけの危険を孕む競技であるにも関わらず、(子供時代に幸運にも無事故で競技をしてこれた)私たちがそれに慣れてしまっているだけです。
過去の議会で、小中学校での組体操の安全対策を取り上げましたが、仮に組体操で大きな事故が起きたとして、学校や市が責任を免れるとすれば、それは、ヘルメット着用や安全マット設置、ピラミッドを組む手順の徹底的な指導などの対策を抜かりなく行っていた場合だと思います。
しかし、現状ではそれほどの対策を行ってはいないわけで、結局は、慣例的な行事として無批判に実施しているのではないかと思います。
「近頃は子供に過保護だ。」という意見をお持ちの方がいらっしゃることは認識していますが、逆に、私からは「これまでが人の命を軽視してきた。」という考えを返したいと思います。
だんじり祭りや御柱祭りで亡くなる方のニュースが度々報道されます。亡くなられたご当人やご遺族の方々は、神様に命を捧げられたということで納得しているのかどうか、私には分かりませんが、少なくとも組体操に命を捧げたいとお思いの方はいらっしゃらないはずです。
命に関わる危険性が多少あっても感動する演技を見せて欲しいと考える大人の方々や、その期待に応えようと頑張る子供達がいるだけです。
交通事故では、日本で毎日平均12名の方の命が奪われています。遺族の方にとっては、亡くなられた原因が病気であろうと殺人であろうと交通事故であろうと、失われた命への悲しみはそれほど変わらないはずです。道端の電柱に供えられた花は、毎年のある日に新しい花に替えられています。
しかし、第3者である私たちは交通事故のニュースに慣れてしまっています。センセーショナルだと感じません。僅かな時間で扱われる報道を見て、遠くまで花を供えに行こうと思われる方はあまりいません。
クルマの利便性を無くそうと言いたいわけではありません。
クルマにより多くの命が奪われてきたという事実を改めて認識し、クルマの利便性を多少犠牲にしてでも、交通事故を起こさないよう一層の注意を払って運転をして欲しいと願っています。
悪意があろうと無かろうと、クルマは簡単に人を殺してしまう乗り物です。