戸田市役所広場にある「被爆アオギリ二世」と「平和像」

教育, まちづくり]2016年11月4日(金)

昨日は、戸田市文化会館で開催された戸田市平和都市宣言30周年記念「戦争を語りつぐ平和の集い」に参加しました。

 

第一部では戸田市戦没者追悼式が執り行われ、第二部では「アオギリにたくして」という2013年に制作された映画の上映会が行われました。

 

映画は、原爆や戦争の悲惨さを伝えるものでした。
投下から4か月で約14万人が亡くなられたといわれる広島原爆ですが、生き延びられた方ひとりひとりにも大きな苦しみを残しており、このような惨状が現在も世界各地で起こっていることを思うと、いかに戦争が人間による身勝手なものかを理解させられます。

 

映画のストーリーは、広島に投下された原爆の爆心地から1.3kmという至近距離で被爆し片足を失った女性が、同じ広島で被爆者差別を受けて生き抜くなかで、女性と同じ場所で被爆し片側が焼きただれながらも生き延びた「被爆アオギリ」に自らを投影し、同時に平和への想いを託し、その後、被爆アオギリの木の元で平和の語り部として活動をされた、という実話に基づいたものです。

 

被爆アオギリから取れる種やそこから育てられた苗木は、日本国内だけでなく世界各国に配布されており、その「被爆アオギリ二世」は、戸田市役所の広場にも10年前に植樹され、いまでは立派な樹に育っています。

 

映画上映会の後は、同じ戸田市分会会館で開催されている、戸田市市制施行50周年記念「岸澤武雄展 ~金属を寿ぐ~」を鑑賞しました。

 

過去にこちらでもご報告していますが、岸澤武雄氏は戸田市役所の広場にある平和像の作者で、ご子息は現在も戸田市に住まわれています。

 

先日の山田一彦・前戸田市副市長のご講演でも触れられていたのですが、この平和像は、現在の戸田市庁舎が完成した昭和45年(1970年)に同時に建立されたもので、その台座には戸田市の戦没者名簿が納められているそうです。

 

山田前副市長いわく、平和像に戦没者名簿が埋め込まれていることは、担当課のなかできちんと引き継がれてこなかったため、その事実を知る市職員がほとんどいなくなっていたとのことで、今回、50周年展覧会の開催にあたって、それらの経緯が(現在は退職されている当時の担当課長に聞き取りを行って)記念冊子にまとめられたことは、戸田市にとっても平和事業にとっても意義のあるものだと思います。

 

なお、「岸澤武雄展」は、11月8日(火)午後3時まで戸田市文化会館2階で開催されています。
岸澤武雄氏の御長女様(とても気さくな方です^^)がご案内をされており、いろいろとお話を伺うことができますし、記念冊子を貰うこともできますので、ご都合の合う方はぜひご鑑賞ください。

 

掲載した写真は、戸田市役所広場にある「被爆アオギリ二世」と「平和像」を一枚に収めたものです。
この広場と展覧会を回れば、平和を学ぶための社会科見学として十分価値があると思います。いまから間に合うかは分かりませんが、小学校の担任の先生はご検討ください。

 

なお、報告となり恐縮ですが、本年3月の委員会予算審査における、「戸田市の子供たちに岸澤武雄氏について教えてはどうか?」との私の提案は、全児童・生徒に配布される『教育広報 とだ』への掲載という形で反映されています。

 

戸田市役所にある「平和像」の作者 岸澤武雄氏 2016/4/14(真木大輔公式ブログ)

 

『教育広報 とだ 平成28年7月号』(戸田市教育委員会公式サイト)

 

 

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